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2016年03月16日
日本弁護士連合会(日弁連)臨時総会③ ~旧司法試験制度の弊害?~
弁護士の富田です。今日も引き続き日弁連の臨時総会について書きます。
先日の臨時総会の場において、1号議案及び3号議案に賛成する意見の中に、何度か「旧司法試験制度がもたらした弊害の反省のもとに法科大学院制度が誕生したのである(だから旧司法試験制度に戻すようなことはしてはならない。)。」という言葉が用いられていました。ここにいう「旧司法試験制度の弊害」とは何かについて聞いていると、例えば「旧司法試験制度では司法試験予備校が隆盛を極めており、司法試験受験生が大学の講義に出席せずに予備校の講義ばかりに出席していた。」といったものです。
この類の批判は法科大学院制度が議論されていた平成12年ころから存在しており、法科大学院制度創設の理由になったことは間違いないと思われます。
しかしこれらは本当に「弊害」と呼べるものでしょうか?私はここに旧司法試験制度や司法試験予備校に対する悪意のあるレッテル貼りがなされているように思えてなりません。
確かに旧司法試験制度の最後ころには司法試験予備校が隆盛を極めており、ほぼ全ての合格者が何らかのかたちで司法試験予備校を利用していました。私も入門レベルの講座から司法試験予備校を利用しはじめ、最終合格するまで利用していました。大学で勉強していた時間より司法試験予備校で勉強していた時間の方が長かったように思います。
しかし、これは大学における法学教育が機能していなかったからに他なりません。
私が大学に在籍していたころは、大学教員の仕事はまずもって研究に重きが置かれており、教育は二の次という扱いを受けていたように思います。私が大学で受講した講義でも、教授が自らの書いた教科書を持ってきて、それをただひたすら棒読みしていくだけという講義が当たり前のように行われていました。そんな講義を聴いただけでは司法試験に合格できるはずがありません(もちろんなかには教育に力を入れている教授も一定数存在したことは事実ですが決して多数派ではありませんでした。)。
これに対して司法試験予備校でそのような講義をしていたのでは即座に受講生からクレームがありますし、そもそもそんな講義に受講生が集まるはずがありません。司法試験予備校の講義は法律の基礎から体系立てて講義してくれる分かりやすいものだったと記憶しています。そのため必然的に大学の講義で司法試験の勉強をするよりも司法試験予備校を利用する受験生の方が多かったのです。
このような従来の大学での法学教育の反省をすることなく、「司法試験予備校は悪であり大学教育こそが正しいのだ。」という前提のもとに法科大学院が創設されたのです。
また、「司法試験予備校での教育は、論点毎の論証の丸暗記などの受験技術のみに偏っており安直な教育しか行っていない。」というのも当時よく聞こえてきた批判です。先日の臨時総会の場でも旧司法試験の受験経験もある法科大学院出身の弁護士が「自分は旧司法試験受験生だったころには司法試験予備校で論証をただ丸暗記していた。法科大学院に通うようになって何故その論点が出るのかを考えるきっかけとなった。」と述べている方がおられました。これも旧司法試験制度や司法試験予備校に対する誤ったレッテル貼りに他なりません。
確かに、旧司法試験制度の時代には論点毎にあらかじめ論証をまとめておく「論点カード」なるものが存在していました。しかし、それはあくまでも典型論点についてあらかじめ論証を記憶しておくことによって時間を節約し、応用部分について考える時間を確保するために用いられていたのであり、「論点カード」を記憶して再現さえすれば合格できるというものではありませんでした。
旧司法試験の問題は著名な学者・実務家が1年かけて議論を重ねて作成した良問であり、決して典型論点の丸暗記だけでは対応できない「ひねり」の部分が必ず存在していました。また論文試験の6科目12問の中には、必ず考えたことのない問題が存在しており、丸暗記のみで対処できるものではありませんでした(この傾向は今でも変わっていないと思われます。)。
そのため、この「ひねり」にどのように対処するのかというのが重要であり、その法的思考能力を身につけた者から合格していたのです。現に私が司法試験予備校で受けた講義でも「論点カードを暗記して再現するだけで司法試験に合格できる。」などということを言う講師はいませんでした。
このように法科大学院制度は旧司法試験制度に対する誤った認識から出発したものといわざるを得ません。
投稿者 staff : 2016年03月16日 11:43